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拭えない過去の記憶
毎年長崎の原爆の日になると、あの時の惨劇を鮮明に思い出す。
そう、あれは中学校の修学旅行で行った初日の長崎でのこと。
オレはうんこをもらしたんだ。
いや、違う。もらしたんじゃない。
・・・。
間に合わなかっただけなんだ。
中学校の修学旅行という規則正しい団体行動の中で、「グピピピピ・・・・・。グュルギュギュグルグル・・・。」という激しい腸蠕動に悩まされ続ける一人の少年。それが若かりし頃のオレである。暑さに耐え兼ねて思わず飲み過ぎた怪しげな給水器の水が腐っていたのだろうか。「ちょっと用事を思い出した。」と、間抜けな言葉を言い残し、一緒に歩いていた同じ班の友達に一方的に別れを告げる。もちろんこんな何のゆかりもない来たばかりの長崎の地に、用事なんてあるわけがない。一歩間違えれば遭難騒ぎであるが、多感な中学生にとっては迷子になるより人前でウンコを漏らす方がよっぽど罪深く思えた。
それから数分後・・・。
ようやく見つけた公衆便所の門構え。
あと、少し・・・。あと、少し・・・。
・・・。
ど、どうやら間に合いそうだ。
公衆便所は右に男性用、左に女性用、真ん中に障害者用というスタンダードな洋風建築。
時間的に間に合いそうではあるが、ここは石橋を叩いて渡るべきだと判断し、最短距離である障害者用トイレのドアを開けた。距離的な問題は勿論のこと、トイレットペーパーの保有率と平均的な清潔さにおいては他の追随を許しませんからね。
おぉ、間に合ったぁ・・・ww
・・・がしかし、これが若さゆえの失態か。はたまた修学旅行というお祭り気分がそうさせたのか。まだドアを開けただけの段階で、不覚にも少し気を緩めてしまったのである。そして、何故か便器の白い陶器を見ると急に催したくなるという不思議な人間の深層心理も、オレの歴史的腸蠕動に拍車を掛けた。
「ウォングルグォングオッォォォオッ!!!」
まるでランボルギーニのエンジン音のように、唸りを上げる腸蠕動。溢れんばかりの活力の源は、もうすぐそこまで来ている。オレは肛門括約筋という名のサイドブレーキを目一杯引きながら微妙な歩幅で便器に歩み寄ったが、見切り発進しようとする馬力を抑えきることができず・・・
うっ・・・。
出た。ちょっとかもしれないけど、確実に出た。
すでにズボンはチャックまで下ろしていたので、急いでそのまま脱ぎ捨てる。パンツは・・・、パンツは残念ながらアルゼンチンの国旗のようになっていたので、非常識ではあるが便器後方に備え付けてあるパンドラの小箱の中にそっと隠した。
そして恐る恐る、脱ぎ捨てた学ランのズボンを五感でチェックしてみることに・・・。
長崎市内のとある密室に包まれる、かつてない緊張感。
不幸中の幸いとはまさにこの事で、学ランのズボンだけは奇跡的に無事だった。首の皮一枚というか、トランクスの布一枚のところで助かったようだ。
いやー、本当に良かった。
簡単に言うが、この学ランのズボンが無事だったというのは、本当に大きな出来事である。当時のボクはもう15歳。パンツの着替えは持っていても、ズボンの着替えは学校指定の夜間着(体育のジャージ)しか持っていない。ここでズボンをロストしてしまうということは、ウンコを漏らしたという限りなくクロに近い疑惑がクラスメイトに広がる上に、2泊3日もの間、長崎・熊本観光を始め、最終日のスペースワールドをゴリラーマンスタイルで歩き回らなければならない。陸上部所属で短髪のクセに胸の内ポケットにエチケットブラシとクシを入れて歩くような中学生にとっては、これ以上のない辱めなのである。
用を済ませたオレは、いつもより幾分フリーダムな下半身で、公衆便所を後にする。そして“旅のしおり”を確認し、次の集合場所であるはずの移動用の貸切バスに、予定時間より早めに戻ることにした。もちろん、誰にも気付かれずに失ったパンツを履くために・・・である。
ところがバスにはまさかの先客あり。男子だけならまだしも、女子も数人居たことがオレの行動意欲を薄らせた。想定外のシチュエーション・・・。友人との他愛も無い会話も、犯罪者が街中で職務質問を受けているような気分である。結局事態を打開する事は出来ず、時間の経過と共に全員集合。ノーパンのまま、バス発車。次の行き先は平和公園。
オレ、何故かその時、学級委員だったんだよね。
クラスのみんながこの日のために平和を願って千羽鶴を折ったのよ。それをオレが代表して平和公園に贈るの。ノーパンでね。で、それからみんなで練習した平和の歌を1曲か2曲歌ったんだけど、それも学級委員だからオレ一人(正確には男女一人ずつ)、前に出てみんなの方を向いて歌うんだよね。ノーパンでね。
もちろんズボンは履いてるんだけどね。でももし誰かにバレたらどうしようって、変な汗をずっとかいてたのを覚えている。
生徒の数は約200人。その時のオレは、おそらくあの場に居た誰よりも真剣に長崎の平和と被曝で亡くなった方の冥福を祈っていたはずである。だって中学男子の性に対する反応はサルと同等、もしくはそれ以下ですよ。何の前触れも無く下半身がスタンディングオベーションすることだってあるじゃないですか。股間がいつになく開放感溢れる状況では、何かに集中して気を紛らわすより、他に策は無かったんですよ。
・・・という何のオチも無い長崎の思い出話でした。
ご整腸ありがとうございました。
2012/08/09 (Thu.) 心の雑音